閑谷学校の紹介

旧閑谷学校の歴史

寛文10年 1670 池田光政が津田永忠に、木谷村延原に学校設立を命じる。
地名を「木谷村延原」から「閑谷」に改称。
寛文12年 1672 光政は隠退し、綱政が藩主となる。飲室と学房が完成。
延宝元年 1673 津田永忠が木谷村に居を移し学校設立に専念。講堂(旧)完成。
延宝2年 1674 聖堂(旧)が完成。
延宝5年 1677 講堂の茅葺を瓦葺に改める。文庫と小斎を設ける。
天和2年 1682 光政死去(享年74歳)。津田永忠と泉仲愛に閑谷学校永続を遺言。
貞享元年 1684 新聖堂(大成殿)が完成。
貞享3年 1686 孔子を祀る釈菜を初めて行う。芳烈祠(のちの閑谷神社)建立。
元禄10年 1697 石門が完成。
元禄14年 1701 孔子像が完成。備前焼瓦葺の新講堂が完成。石塀着工。
元禄15年 1702 椿山(池田光政の供養塚)を学校敷地の東隣に造営。
宝永元年 1704 池田光政像が完成。津田永忠が隠居し、閑谷に移住する。
宝永4年 1707 津田永忠、死去。孔子像と池田光政像を聖堂と芳烈祠に安置。
宝永6年 1709 藩の財政難のため、綱政が閉鎖を命じる。後に存続を決定。
文化10年 1813 武元君立を教授に起用。有吉行蔵とともに黄葉亭を建立。
弘化4年 1847 火除山西側の学房一帯が失火により焼失。すぐに再建。
明治3年 1870 藩政改革のため、閑谷学校廃校。
明治6年 1873 山田方谷を備中松山藩から招き、閑谷精舎として再興。
明治10年 1877 閑谷精舎、廃校。
明治17年 1884 西毅一を教頭(後に黌長)として閑谷黌を開校。
明治38年 1905 学房跡に新校舎(現閑谷学校資料館)が完成。
大正4年 1915 明治3年以来中断されていた釈菜が復活。
大正10年 1921 岡山県に移管され、岡山県閑谷中学校となる。
昭和23年 1948 学制改革に伴い、閑谷中学校は岡山県立閑谷高等学校となる。
昭和24年 1949 高校再編により岡山県立和気高等学校閑谷校舎となる。
昭和25年 1950 文化財保護法の制定。講堂、聖廟、神社等25棟が重要文化財指定。
昭和28年 1953 講堂が国宝に指定。
昭和29年 1954 特別史跡に指定。
昭和39年 1964 岡山県立和気高等学校閑谷校舎閉鎖。
昭和40年 1965 旧閑谷校舎は岡山県青少年教育センター閑谷学校となる。
平成3年 1991 教育センター新設。旧教育センターを資料館に改修。
平成27年 2015 旧閑谷学校を含むストーリー「近世日本の教育遺産群 - 学ぶ心・礼節の本源-」が日本遺産に認定。

閑谷学校の紹介

ページの先頭へ